プロジェクトXに出なかった話Vol.1 - 2010.04.03 Sat
国産ピアノの歴史としてヤマハが取り上げられますが、その中で数年前NHKプロジェクトXでヤマハが取り上げられました。
最後は感動的な結末になるのですが、そこまでのいろんなストーリーで出てこなかった話をある先輩からお聞きしました。
その方は当時ヤマハでフルコンサートを作られていた、数少ないトップ技術者です。
その方と2日間お仕事をさせていただき、いろんなお話を聞くことができました。
時代時代でいろんなピアノをお手本としていたヤマハ、1960年ごろまでヤマハはベヒシュタインでした。
そこから転換するきっかけになったのが、世界的ピアニスト、ミケランジェリの登場です。
その調律師、ピアノ製作者のタローネからフルコンサート作りを教えたもらうことになり、工場に呼んだときの話です。
ピアノ作りのいろんな技術を教わるかと思っていたところ、タローネから出てくる話は「宇宙のような、、、」芸術を抽象的な言葉にした事ばかりだったそうです。
それを理解するのは当時の技術者では難しかった、ということと、芸術的観念で楽器を考える所には及ばなかった事、そしてヤマハの技術レベルはタローネの要求するものに達していなかったそうです。
しかし、いろんなエッセンスをもらって、フルコンサートを完成させるわけですが、この時からヤマハは変わったと言われました。
しかし、このタローネの考えにヤマハのレベルが追いつかないうちに、方向転換として次の目標に変わっていくのです。
それがスタインウェイ。
タローネのエッセンスを受けたピアノ作りは2年ほどだったそうで、そういうグランドピアノが世界のどこかにあるそうです。
もうこの時代には戻る事の無い話しでしたが、技術者、他、日本全体が上昇気流に乗っていた時代のお話でした。
スタインウェイとの話しは次回!
最後は感動的な結末になるのですが、そこまでのいろんなストーリーで出てこなかった話をある先輩からお聞きしました。
その方は当時ヤマハでフルコンサートを作られていた、数少ないトップ技術者です。
その方と2日間お仕事をさせていただき、いろんなお話を聞くことができました。
時代時代でいろんなピアノをお手本としていたヤマハ、1960年ごろまでヤマハはベヒシュタインでした。
そこから転換するきっかけになったのが、世界的ピアニスト、ミケランジェリの登場です。
その調律師、ピアノ製作者のタローネからフルコンサート作りを教えたもらうことになり、工場に呼んだときの話です。
ピアノ作りのいろんな技術を教わるかと思っていたところ、タローネから出てくる話は「宇宙のような、、、」芸術を抽象的な言葉にした事ばかりだったそうです。
それを理解するのは当時の技術者では難しかった、ということと、芸術的観念で楽器を考える所には及ばなかった事、そしてヤマハの技術レベルはタローネの要求するものに達していなかったそうです。
しかし、いろんなエッセンスをもらって、フルコンサートを完成させるわけですが、この時からヤマハは変わったと言われました。
しかし、このタローネの考えにヤマハのレベルが追いつかないうちに、方向転換として次の目標に変わっていくのです。
それがスタインウェイ。
タローネのエッセンスを受けたピアノ作りは2年ほどだったそうで、そういうグランドピアノが世界のどこかにあるそうです。
もうこの時代には戻る事の無い話しでしたが、技術者、他、日本全体が上昇気流に乗っていた時代のお話でした。
スタインウェイとの話しは次回!
● COMMENT ●
タローネ
Re: タローネ
お久しぶりです。
私は日本で4台在処を知っています。
そのうちの1台はフルコンでした。
でも残念ながら、その良さを引き出されない状態で、置かれていました。
タローネはイタリアでも伝説の人です。
別の言い方ですと変人かもしれません。
でもそれが天才である所以だと思います。
私は日本で4台在処を知っています。
そのうちの1台はフルコンでした。
でも残念ながら、その良さを引き出されない状態で、置かれていました。
タローネはイタリアでも伝説の人です。
別の言い方ですと変人かもしれません。
でもそれが天才である所以だと思います。
トラックバック
http://arakipiano.blog43.fc2.com/tb.php/355-c77949e0
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
タローネ、一台だけ弾いたことがあります。
既存のピアノとはまた違った音で、一発で虜になるくらいのピアノでした。
場所とお金があれば欲しいなーと思いました。
ほんとピアノの音に「答え」はないなーと感じました。
タローネ自身はそういった方だったのですね。
勉強になりました。