大同窓会 - 2011.09.23 Fri
今日、名古屋の調律師を養成する学校、中部楽器技術専門学校が30年経ち、同窓会が開かれました。
88歳になられた先生と28年ぶりにお会いでき、感激しました。
昨年まで現役で一般家庭を回られていたとのこと。
辞められた理由はグランドの屋根が重くて開けられなくなった、ということで笑われていましたが、今でもまだ心残りな様子でした。
でもピアノ技術一筋の人生、優しいお顔に表れていました。
戦争の時に、満州におられて、日本が負けて、船で帰ろうとした時、たまたま赤痢でその船に乗れず、直るまで、満州に止められていたとのこと。
しかし、その船は潜水艦の攻撃で沈没してしまったこと、などをお話され、「私は悪運強く生かされたんです。その人生を全うしないと。」と言われていました。
涙が出そうでした。
こういう貴重な先生に教えていただいていたんだと、今さらながら知ることができ、幸せでした。
30年という年月を思うと、時代時代でいろんな考え方があり、その時に習った先生で人生が変わるほど全く違うのでは、と思ってしまいます。
30年間で2000人以上という卒業生を出して、全員が同じ仕事を続けているわけではありませんが、辞めてもこうやって学校の行事に来るというのはよほど慕われたからなのでは、と思います。
音楽業界は大変厳しく、しかもピアノ業界の将来性は無い、とまで書かれている本があるくらいです。
今から調律師になりたい、なろうという人は、私が習った28年前とは全く違う世界になっているので、想像がつきません。
将来性は無いかもしれませんが、楽器を触りながら、人とのつながりができ、音楽が常にそばにあり、大変魅力のある仕事だということを、伝え続けていきたいと思います。
もちろん、大変な仕事には変わりありませんが。笑
88歳になられた先生と28年ぶりにお会いでき、感激しました。
昨年まで現役で一般家庭を回られていたとのこと。
辞められた理由はグランドの屋根が重くて開けられなくなった、ということで笑われていましたが、今でもまだ心残りな様子でした。
でもピアノ技術一筋の人生、優しいお顔に表れていました。
戦争の時に、満州におられて、日本が負けて、船で帰ろうとした時、たまたま赤痢でその船に乗れず、直るまで、満州に止められていたとのこと。
しかし、その船は潜水艦の攻撃で沈没してしまったこと、などをお話され、「私は悪運強く生かされたんです。その人生を全うしないと。」と言われていました。
涙が出そうでした。
こういう貴重な先生に教えていただいていたんだと、今さらながら知ることができ、幸せでした。
30年という年月を思うと、時代時代でいろんな考え方があり、その時に習った先生で人生が変わるほど全く違うのでは、と思ってしまいます。
30年間で2000人以上という卒業生を出して、全員が同じ仕事を続けているわけではありませんが、辞めてもこうやって学校の行事に来るというのはよほど慕われたからなのでは、と思います。
音楽業界は大変厳しく、しかもピアノ業界の将来性は無い、とまで書かれている本があるくらいです。
今から調律師になりたい、なろうという人は、私が習った28年前とは全く違う世界になっているので、想像がつきません。
将来性は無いかもしれませんが、楽器を触りながら、人とのつながりができ、音楽が常にそばにあり、大変魅力のある仕事だということを、伝え続けていきたいと思います。
もちろん、大変な仕事には変わりありませんが。笑
● COMMENT ●
つながり
良き師の教えを、次に伝えてください。これから28年先もきっと、ピアノを愛好する人とその人たちの輪はなくならないはず。
Re: つながり
中島様 そうです、アコースティックは無くならないと思います。次に伝える何かを持ち続けていきたいと思います。
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